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エサレンボディワーカーのひがしくみこです。自分の心に広がる思いを、少しずつ言葉に置き換えていこうかな、と思っています。


by kokoroathome
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アクティブメディテーション

アクティブメディテーション_e0062741_9511816.jpg小さい頃から音楽が好きで、音がなると自然と身体がリズムを刻む傾向にあったにもかかわらず、その私が、人がいようがなんだろうが、周りの目を気にせずに気持ち良く身体を動かすことができるようになったのは、そんなに昔の話ではありません。

2005年1月にエサレン®ボディワーク入門という3泊4日のワークショップに参加したとき、そのカリキュラムの中にダンスをする時間がありました。参加者の人数が部屋を狭く感じさせ、また、楽しそうに踊る人たちに圧倒されて、どぎまぎしたのを覚えています。顔はにこやかでも心は穏やかではありませんでした。つまり、私はみんなの踊っている姿を見ながら、自分の踊る姿の見栄えばかりを気にしていて、自分の身体や心を感じて踊ることができなかったのです。

しかし、3月には同じくエサレン研究所から来たマリア・ルシアという講師のスピリチュアルヒーリングというワークショップに参加し、彼女のワークの始まる前に主催者が行ったムーブメントの時間の何度目かで初めて傍目を気にせずにめちゃくちゃに身体を動かすということやってのけたのです。恐らくそれはマリアのワークで、厚衣のように自分の周りにべったりと張り付いた不必要な感情を手放す訓練をし続けたからこそできたことかもしれません。ともかく、自分がしたいように身体を動かしたり、声を出したりするムーブメントは最高の開放感以外の何ものでもありませんでした。

引き続き4月にはエサレン研究所にマッサージの認定コースを取るために出向き、ひと月もの間、雄大な自然の中で、様々な形や方法で心理的解放を経験しました。それはワークショップを通してだったり、一人自然にまみれる時間の中からだったり、いろいろですが、そこでもまた、様々なパターンのムーブメントの時間を体験しました。そして、心の底からダンスを楽しめるようになったのも実はその頃からなのです。

人に見せるためでなく、自分自身の奥から湧き出る身体を動かしたいという欲求に素直に従うダンス。それは見栄えの良いものでは決してなく、その時その時の自分の状態によって、静かだったり、荒々しかったり、単純だったり、複雑だったり、いろいろです。踊ることでこんなにも心身の解放と調和が得られるとは思っていませんでした。また、踊ることで得られる気付きがたくさんあることも、それ以来知りました。

ということで、私は今では音が耳に入ると自然にそのリズムと溶け合い、身体がむずむずと動き出すくらいFree Spirit が板に付いてきました。逆に、何日も踊りから離れていると、欲求不満な気分にすらなります。

一時期頻繁に参加していたワークショップも、最近ではすっかり遠ざかっていましたが、久々に、食指が動くものにヒットしました。「アクティブメディテーション」です。自分の中の目的意識がはっきりとしている今、一番必要としているワークショップは、「ボディ・マインド・スピリット」を喜ばせ、ゆるゆると解放し、あるべき場所へと戻していくタイプのものです。私自身、心身の解放をしたいけれどどこかで躊躇しているような人たちに向けたワークショップを持つことは数ある目標のひとつではありますが、それには、自分自身を通して感じたり知ったりすることも大切です。すっかり人も変わって、踊ることは瞑想でもあるとずっと言い続けてきた昨今の私にとって、「アクティブメディテーション」は私の原点でもあるのです。なぜなら、身体を動かすことの楽しさを教えてくれた、あの2年前のマリアのワークで体験した、ワークショップランドプレゼンツのムーブメントそのものだからです。

久しぶりにお目にかかる龍玄さんは相変わらずの目力で、微笑んでいても気迫満点です。そんなに何度も会ったことはないのに、ものすごく近しい感じがするのは、こういったワークのお陰でしょう。変に緊張することもなく、ワクワクする気持ちだけで望む自分がいます。

動きや参加者との絡みで多少のインストラクションはあるものの、基本的には「音と自分」だけの世界です。流れてくる音を受け止めながら、身体の反応をうかがいます。

エサレン研究所での認定クラスでは、授業の始まりは必ずダンスでした。ボディファンクションを意識した動きで身体の隅々にまで気づいていきます。私はこの感覚が大好きで、いつもどこかしらを意識して、身体を動かします。今回のアクティブメディテーションでは、「肩の力を抜こう」というテーマを持って参加しました。意外に難しい肩の力を抜ききって身体の動きに素直に従わせる、ということに集中してみたのです。つまり、肩から下はぶらんぶらんとしているわけです。こういうことをするとよくわかるのが、いかに肩の力を抜くのが難しいかを実感します。私自身、この肩の力を抜く作業をすることで、自分の中の不必要に溜まった緊張をほぐしていこうと意図したわけです。

太極拳で言うところのスワイショーと同じ感覚の動きをダンスですることはとても面白い体験でした。身体の動きが激しくなればなるほど、脱力した肩から腕の動きも増してきます。こういうことをする中で、面白いことに、めちゃくちゃな感じで身体の動きについてくる腕の、その動き方に時として恐怖を感じている自分がいます。恐怖、というのは、別に腕が取れてしまいそう、とかそういうものではなく、「どう動くかわからない」つまり「予測が付かない状態のものを身体の一部に持っている」ということへの恐れです。無意識にでも、自分の身体は隅々まで行き届いた管理を望んでいる、またはそれが当たり前だと思っている自分に気づきます。こういった気づきがムーブメントの楽しさでもあります。

メディテーション、と付くくらいだから、本来はあまりあれこれ考えずに、自分がしたいように動いていけば良いのでしょうが、いつもと違う視点でボディ、マインド、スピリットの反応をつぶさに観察したいという欲求とともに動いているので、私の脳みそもアクティブに働いています。

そのうち、だんだんと、小さなことに頓着する気持ちがなくなってきます。そして、ただ自分がしたいと思う動きをわけのわからないおたけびと共にしていきながら、トランスに入っていきます。もうその時点ではほとんど物は考えていません。その瞬間がまたたまらないのです。この無意識で、他人のことなんか本当の本当に気にしないで自分に没頭する瞬間が大好きです。これをすることで何かから突き抜けて心身ともに軽くなっていく自分を実感することができるのです。

また、他の参加者の方を故意に意識して、それぞれのエネルギーの絡み合いをつぶさに感じる時間も楽しいものです。生きている人間は確かにエネルギーを発しています。そのエネルギーの強さや質によって、まわりとの関係も明らかに違ってくる、それを意識してすることで理解する感覚を磨くわけです。この時間はヒーラーでもある私にとって、とても素晴らしいプラクティスです。

今回のアクティブメディテーションは前半一時間はたっぷりと身体を動かし、後半は趣向を変えて、故意に笑うだけの時間を持ったり、泣くという行為をしてみたりすることを通して湧き出る感情や感覚を楽しみました。その日の私は、笑う、という行為にはとても自然に入り込め、泣くという行為には多少の辛さを感じました。それなのに、面白いことに笑うという行為をし続ける中で、それが泣きに移行していく瞬間を体験しました。どうしてそうなっていったのか、わかりません。逆に、これはもう、あまり深く考えないで、その行為を通して得られた体験を静かに客観視しようじゃないのと思い、続けました。ここでも、他の参加者を意識することで、ひとりでしたのでは得られないエネルギーの絡み合いから来る様々な内的反応を楽しむことができました。その日の私にとって、笑いはどんどん増幅し、泣きはその行為を故意にすることに辛さを感じました。どこかでうっすら「泣きたい」という気分があったように感じていたのに、意外にもそうではなかったようです。

こういう積極参加型ボディワークは、私がするエサレン®マッサージなどの受身のボディワークと同じく、定期的にすることでどんどん自分が解放されて、ボディ、マインド、スピリットのすべてが喜び満たされる最高のセッションだと思っています。最近ではスピリチュアリティの視点からの自己実現、などということがちまたでは話題の中心になっていますが、アクティブメディテーションのようなボディワークはそれにも十分ひと役買ってくれると確信しています。

終わったあと、すがすがしい気分に浸りながら、龍玄さんに「こういうのはぜひ定期的にしてほしいなぁ」と強くお願いしたのは言うまでもありません。
by kokoroathome | 2007-07-27 09:51 | ボディワーク